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余白の家と似て非なるもの

​

いいえ、

ひとつの目的のためにつくられた施設

ではありません。

​

その日にいる人が、

​それぞれの過ごし方を見つけられる家です。

いいえ、

カフェ(決められたメニューから注文して、

サービスを受ける場所)ではありません。

​

 

でも、お茶を飲んだり、食事をしたり、
ゆっくり過ごすことができます。

​

家にある飲み物は

自由に飲んで過ごせます。


食べ物や飲み物を持ち込んで、

楽しむこともできます。

​

お茶を飲みながら本を読んだり、
誰かと話したり、
持ってきたものを食べながら
ゆっくり過ごしたり。

​

「これ、おいしいね」と
ふと誰かと言葉を交わす日もあれば、
一人でゆっくりお茶を飲んで、


静かに過ごす日もある。

その日の気分に合わせて、

自分の時間を過ごすことができます。

いいえ、図書館ではありません。

​

​でも、本を読んだり、

本をきっかけに

誰かや何かに出会うことができます。

​

家にある本を自由に手に取ったり、

誰かが持ってきた本に出会ったり。

​

一冊の本をきっかけに、

​

「この本、読んだことある?」

​

と話が始まることもあれば、

そこに書かれていたことから、

別のことを考えてみることもある。

​

誰かのおすすめの本を読んでみたら、

今まで知らなかった世界に

出会うこともあります。

​

本を読むことだけが目的ではなく、

本をきっかけに、人や考え方、

知らなかった世界と出会っていく。

​

​そんな本との時間が

余白の家にはあります。

​

いいえ、教室ではありません。

​

でも、誰かから何かを教わったり、
自分が知っていることを
誰かに伝えたりできます。

​

誰かに刺繍を教えてもらったり、
本を読んだり、話を聞いたりする中で、
知らなかったことを知ることもあります。

​

「これ、どうやってやるの?」
「それって、どういう意味?」

そんな小さな疑問から、
自然に教えたり、
教えてもらったりすることがあります。

​

余白の家では、
最初から先生と生徒を決めていません。

教える人も、教わる人も、
その時々で変わります。

​

教えながら気づくことがあり、
教わったことを、

今度は誰かに伝えることもある。

​

学ぶことや

教えることを目的に集まるのではなく、


人と過ごす中から
「知りたい」「伝えたい」が生まれていく。

​

​

それが、余白の家で生まれる学びです。

いいえ、フリースクールではありません。

​

でも、学校とは違う場所で、

​自分のペースで過ごしたり、

興味のあることに

時間をつかったりすることはできます。

​

余白の家は、

学校に代わる学びの場として、

子どもを受け入れる場所ではありません。

​

決められたプログラムや

時間割があるわけでもなく、

「今日はこれを学びましょう」

という時間があるわけでもありません。

​

その日にあるものや、

そこにいる人との出会いから、

「これ知りたい」

「やってみたい」

と思うことが生まれることがあります。

​

学ぶことを目的にして集まるのではなく、

過ごしているうちに、

学びが生まれることがある。

​

​それが、余白の家です。

いいえ、児童館のような

子どものためだけの場所ではありません。

​

でも、子どももこの家で、
自分の過ごし方を

見つけることができます。

​

大人が

「子どもにこれをしてあげる」のではなく、


その子が

そこにあるものや人と関わりながら、


自分で過ごし方を選んでいく。

​

誰かが庭で手を動かしている隣で、
子どもが虫をながめているかもしれない。

​

大人が本を読んでいるそばで、
子どもが絵を描いているかもしれない。

​

子どもも大人も、
それぞれの時間を過ごしながら、
同じ家にいる。

​

子どものために

用意されたことをするのではなく、
その子の「やってみたい」や「気になる」が、
ここで誰かや何かと出会っていく。

​

子どもも一緒に、
この家の時間をつくっていく。

​

それが、余白の家の
子どもとのかかわり方です。

いいえ。アトリエではありません。

​

でも、ものをつくったり、

手を動かしたり、

何かが生まれる時間があります。

​

庭のハーブでハーブソルトを作ったり。

余白の家で生まれた言葉や絵を集めて、

小さな冊子にしたり。

誰かが持ってきた古い着物から、

ブックカバーを作ったり。

​

決められた制作メニューが

あるわけではありません。

​

家にあるもの、庭にあるもの、

誰かが持ってきたもの。

​

その日に

出会ったものを眺めているうちに、

​

「これで何かつくってみよう」

​

と、

自然に手が動き始めることがあります。

​

誰かの手から生まれたものが、

また誰かの手を動かすこともある。

​

ものをつくることを

目的にしているのではなく、

​

過ごす時間の中から、

結果としてものが生まれていく。

​

​

​そこが、アトリエとは少し違うところです。

いいえ、ギャラリーではありません。

​

でも、ものや作品に出会い、

そこから新しい時間が生まれることがあります。

​

自分が作ったものを、

「この家の、この場所に置いてみたい」

と思ったり。

​

誰かの写真や絵、作品などが、

余白の家に置かれることもあります。

​

そこにあるものをきっかけに、

誰かが足を止めたり、

​

「これ、どうやってつくったんだろう」

​

と話が始まったりする。

​

作品を見るために訪れるのではなく、

ものを介して、

人と人との間に新しい時間が生まれていく。

​

そこが、ギャラリーとは少し違うところです。

​

いいえ、ショップではありません。

​

でも、余白の家で生まれたものや、
ここに集まってきたものを、
購入することができます。

​

季節のジャムや焼き菓子、
草花のろうそくやしおり、
古い布から生まれた小さな布もの。

​

誰かの家で使われなくなったものが、
「次の人に使ってほしい」と
ここにやってくることもあります。

​

「これ、いいな」と思ったものを、
自分の暮らしに迎える。

​

そんなふうに、
ものが人から人へ渡っていくことも、
余白の家では大切にしています。

​

ここにあるものが、
また誰かの暮らしの中で
新しい時間をつくっていけたらと

思っています。

いいえ。違います。

​

でもときには、

誰かの小さな「やってみたい」から、

人が集まる時間が生まれます。

​

余白の家で過ごしたり、

そこにあるものを眺めたりする中で、

​

「ここで一緒にやってみない?」

​

そんな思いつきが生まれることがあります。

​

たとえば、庭のスイカが、

思った以上に立派に育ったら

「ここでみんなでスイカ割をしたら楽しそう」

​

そんな一言から

スイカ割りの日が始まるかもしれません。

​

最初から予定されていたイベントではなく、

余白の家にあるものや

空間、人、その時の出来事から生まれてくる。

​

余白の家で生まれる「イベント」は、

企画そのものをすることよりも、

​

誰かの小さな「ここでやってみたい」

​から始まります。

 

​

いいえ、レンタルスペースではありません。

 

でも、

「この場所だから、やってみたい」

という思いから

家をひらくことがあります。

​

​

「自分でつくってものを

この家の一角に並べてみたい」

​

「この庭で

誰かと手仕事をしてみたい」

​

​

そんな「やってみたい」から、

場所がひらかれることがあります。

​

どこを使うのか。

何を持ち込むのか。

誰と、

どんな時間を過ごしたいのか。

​

その人の思いを聞きながら、

個の家だからできる使い方を

一緒に考えていきます。

​

空いている場所を

時間単位で貸すことが目的なのではなく、

「この場所だからやってみたい」を、

実際にひらいてみる。

​

​それが、

余白の家での

「場所を借りる」ということです。

いいえ、

コミュニティスペースではありません。

​

人と人が最初からつながることを目的に

集まるわけではありません。

​

一緒にお茶を飲んだり、
ものをつくったり、
本を読んだり、
ただ話したり。

​

そんな時間を何度か過ごすうちに、

​

「また会いましたね」
「この前話していたこと、どうなりました?」

​

そんな言葉が

自然に生まれることがあります。

​

年齢も、仕事も、

興味のあることも違う人が、
たまたま同じ家で時間を過ごす。

​

その時間が少しずつ重なって、
気づけば、顔見知りが増えている。

​

​

人を集めて

つながりをつくるのではなく、


人と人が過ごした時間から、
自然とつながりが生まれていく。

​

それぞれでいられるからこそ、

​結果として、つながっていく。

​

​

それが、余白の家で生まれるつながりです。

いいえ、シェアスペースではありません。

​

でも、いろいろな人が同じ家で、
それぞれの時間を過ごします。

​

本を読む人。
お茶を飲む人。
ものをつくる人。
誰かと話す人。
ひとりで静かに過ごす人。

​

同じ場所にいても、
過ごし方はそれぞれです。

​

余白の家は、
空いている場所を

みんなで共有することが
目的なのではありません。

​

そこにいる人、
持ち込まれたもの、
交わす言葉、
過ごす時間。

​

その一つ一つが重なって、
その日の余白の家がつくられていきます。

​

同じ場所を時間単位で使い回すのではなく、
誰かが過ごした時間や営みが、
その家に少しずつ積み重なっていく。

​

そこが、一般的なシェアスペースとは
少し違うところです。

いいえ、文化センターではありません。

​

でも、

文化に触れたり、

誰かの経験や知恵を知ったり、

​そこから新しいものがうまれることがあります。

​

本を読んだり、ものをつくったり、

誰かの話を聞いたり、

知らなかった文化に触れたり。

​

誰かが持ってきたものや、

この家にあるものをきっかけに、

​

「これについて話してみたい」

「これを誰かに伝えてみたい」

「一緒にやってみたい」

​

という思いが生まれることがあります。

​

話したり、

手を動かしたり、

考えたりする中から、

新しいものや考え方、

問いが生まれていく。

​

文化を誰かから受け取るだけでなく、

そこにいる人の興味や経験、

手や言葉から、

小さな文化がうまれていく。

​

​​それが、余白の家の文化との関わり方です。

いいえ。

特定の支援を行うための場所ではありません。

​

子どもも、大人も、国籍をこえて

誰でも訪れることができます。

​

必要な人に何かを提供するというより、

それぞれが自分の時間を過ごせる場所で

​ありたいと思っています。

いいえ。

余白の家は、NPO法人ではありません。

​

ひとつの制度や組織の枠に収まることよりも、

人やものとの出会いから、

その都度かたちがうまれていくことを

​大切にしています。

いいえ、

余白の家は、特定の宗教や信仰を広める場所ではありません。

​

でも、自然を眺めたり、
何かを感じたり、
自分と静かに向き合ったりする時間は、
大切にしています。

​

何を感じ、どう考えるかは、
それぞれの人に委ねられています。

​

誰かの考えを押しつけるのではなく、
それぞれが自分の感じ方で
この家で過ごせたらと思っています。

いいえ、

スピリチュアルなことを目的とした場所ではありません。

​

でも、静かな時間を過ごしたり、
自然を眺めたり、
ふと何かを感じたりすることはあります。

​

何を感じるか、
そこから何を思うかは、
その人それぞれ。

​

余白の家では、
そんな時間も

その人の過ごし方のひとつとして
大切にしています。

 

そして、余白の家は、

​

「何かを提供する場所」でもありません。

​

​

​

そこにいる人、

持ち込まれたもの、

交わす言葉、

過ごす時間。

​

​

その一つ一つが重なって

その日の余白の家がつくられていきます。

​

​

「何をするか」ではなく、

「どう過ごすか」。

​

​

何かが生まれていく、

余白のある家です。

​

​

​

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